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日本における書道の歴史を知ろう

こんにちは。名古屋市、日進市の書道教室『田中書道学院』 広報担当です。

これから書道を始める方や、書道に興味をお持ちの方へ向けて、日本における書道の歴史についてお伝えします。

現代の日本では、美しい文字は芸術的に評価されるとともに、書道のスキルは資格として幅広いシーンで役立ちます。そんな書道の魅力について、歴史という別の観点からも近づいてみてはいかがでしょうか?


目次[非表示]

  1. 1.始まりは漢字が伝来した弥生時代
  2. 2.盛り上がりのキッカケは仏教の伝来
  3. 3.かな文字に合わせた日本風の書道も生まれた
  4. 4.書道は芸術として定着
  5. 5.まとめ


始まりは漢字が伝来した弥生時代

そもそも日本の書道の始まりには、中国から伝わった漢字文化がありました。初めに漢字が伝わったのは、弥生時代の頃だと言われています。

この時期に作られた古墳からは、篆書体文字(てんしょたい)の「貨泉(かせん)」という文字が記された銅貨が出土されています。また、現在の福岡県付近で出土した金印には、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という文字が記されていました。

ただし、漢字が伝来してしばらくは、まだ現在のような形で使われることはなかったと考えられており、その後に文字として使われるようになるまでにはやや時間がかかったようです。

このときに伝わった「篆書」とは、垂直・水平・左右対称を特徴とした、バランスのよい書体となっています。

しかし、細やかな線の篆書は、書くのに時間がかかるため、しだいに簡略化されるようになっていきました。このようにして誕生したのが、「隷書(れいしょ)」です。隷書は篆書と比べて書きやすく、現代の日本で使われている漢字により近い書体となっています。


盛り上がりのキッカケは仏教の伝来

飛鳥時代や奈良時代になると、仏教の伝来とともに、多くの人が写経を行うようになりました。

写経とは、仏教の経典を書き写すことです。現代においても、「般若心経」をはじめとした経典の書き写しが、心を落ち着けて集中するための取り組みとして、老若男女を問わず注目を集めています。

しかし、もともとの写経の目的は、中国から伝わった経典を広く伝えるためだったと考えられています。

こうして仏教の伝来を通して、日本でも書道が始まりました。

飛鳥時代の当時、信仰の厚かった聖徳太子によって記されたと伝えられているのが『法華義疏(さんぎょうぎしょ)』です。

こちらは“日本最古の書物”とも言われるように、もっとも古い手書きの文字が残されています。中国へ遣唐使や遣隋使が派遣されるようになると、書道はより一層の盛り上がりを見せるようになりました。

奈良時代、文化の最盛期を支えた人物として有名なのは、聖武天皇です。

聖武天皇は、大仏でお馴染みの東大寺を建立するなど仏教を熱心に信仰する傍ら、国家事業として写経を行う「写経所」も設立しました。これによりさらに書道が発展を遂げるようになります。

なお、律令制度における教育機関にも書道の学科が登場したものの、残念ながらこちらは早くに衰退してしまったと言われています。


かな文字に合わせた日本風の書道も生まれた

712年(奈良時代)になると、日本でもっとも古い歴史書である『日本書紀』が編纂されました。

この歴史書は、漢字を音によって表すという日本独自の表記が用いられています。この独特の表記は「万葉仮名」と呼ばれ、やがてはかな文字の誕生へとつながっていきます。

万葉仮名のほかにも、漢文を読み下し文にするために、万葉仮名がさらに簡略化された「片仮名」が誕生しました。

平安時代の初めには、美しい文字を書く能筆家として、嵯峨天皇・空海・橘逸勢の3人の名が残されています。

達筆であった嵯峨天皇は、天皇の住む宮城(きゅうじょう)にある文額を自ら書くとともに、書家である空海と橘逸勢にも書かせたようです。この3名は、後世で「三筆(さんぴつ)」と呼ばれるようになりました。

平安時代の中期になると、しだいに「国風文化」と呼ばれる日本らしいスタイルが盛り上がりを見せます。

日本独自の文化が重視される中、これまでとは異なり柔らかい書風が台頭するようになりました。

平仮名が誕生したのもこの時期です。小野道風・藤原佐理・藤原行成の3人が「三蹟(さんせき)」と呼ばれ、能書家として高く評価されています。こうして、日本の書道が芸術として確立されていきました。


書道は芸術として定着

鎌倉時代には、現代のような漢字と平仮名の混じった表記が一般的に用いられるようになりました。

室町時代には、書道に流派が生まれます。三蹟のひとりである藤原行成から、世尊寺流・法性寺流・青蓮院流・持明院流という4つの流派に分かれていきました。

さらには、書道の作品を床の間に飾って鑑賞する文化も根付いています。

尊円法親王による青蓮院流は、後の「後家流」という流派となり、江戸時代になると庶民にまで広がり、多くの人に使われるようになりました。

後家流は明治時代まで続きましたが、時代が変わると「唐様」が広まるようになり、そこから現代の学校教育で指導される書道へと続いています。


まとめ

日本における書道の歴史についてお伝えしました。

美しい手書きの文字には、日本でも古くから芸術的な価値が認められ、多くの人の心を惹きつけてきた歴史があります。

書道が辿ってきた長い時の流れを辿ることで、ぜひ書道の楽しみをさらに深めてみてください。

田中書道学院では、様々な書体に触れながら、書道の歴史を紐づけながら書を学ぶことができます。
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